細川成之・細川政元・細川澄之は
細川成之は、室町時代の阿波国・三河国・讃岐国の守護大名。
細川教祐の子。
細川持常の養子。
官位は兵部少輔、讃岐守。
細川政之、細川義春らの父。
宝徳元年に家督を継承し、阿波・三河守護となる。
応仁の乱では東軍に属した。
文明5年、讃岐の守護となる。
晩年は出家した。
永正8年、78歳で死去。
宝徳元年から文明10年まで、三河守護。
以後、三河守護は不明となる。
1465年に丸山中務入道や大庭二郎左衛門らの額田郡牢人一揆が起き、成之は京の征夷大将軍足利義政の命で伊勢貞親被官の松平信光と戸田宗光に鎮圧させている。
東山文化を代表する文化人の一人として知られる。
細川政元細川政元は、室町時代中後期の守護大名。
室町幕府の三管領の一つである細川京兆家の当主。
父は細川勝元で、母は不明。
勝元の正室・山名熙貴の娘を母とする説もあるが、根拠となる史料は無い。
細川教祐の子。
細川持常の養子。
官位は兵部少輔、讃岐守。
細川政之、細川義春らの父。
宝徳元年に家督を継承し、阿波・三河守護となる。
応仁の乱では東軍に属した。
文明5年、讃岐の守護となる。
晩年は出家した。
永正8年、78歳で死去。
宝徳元年から文明10年まで、三河守護。
以後、三河守護は不明となる。
1465年に丸山中務入道や大庭二郎左衛門らの額田郡牢人一揆が起き、成之は京の征夷大将軍足利義政の命で伊勢貞親被官の松平信光と戸田宗光に鎮圧させている。
東山文化を代表する文化人の一人として知られる。
細川政元細川政元は、室町時代中後期の守護大名。
室町幕府の三管領の一つである細川京兆家の当主。
父は細川勝元で、母は不明。
勝元の正室・山名熙貴の娘を母とする説もあるが、根拠となる史料は無い。
update:2010年07月17日
